小斎直也の勇往邁進

小斎直也の日常生活や様子を日々記していきます。このブログを見れば小斎直也の全てがわかる!!とまではいきませんが、人となりがそれとなく浮かんでくるのではないでしょうか。波乱万丈な人生というわけではありませんが、とりとめもないことを書き記していければと思います。

「ダサい」の意味から言葉の変遷を考える

普段の会話の中で、なんだか意味はよくわからないけどよく使ってしまう、よく耳にする言葉ってありますよね。例えば「ヤバい」も、割とどんな状況でも使われている気がして、厳密に意味ってなんだろうって考えるとよくわからなくなってしまいます。

私は「ヤバイ」を事態が非常に悪い状態を指して使いますが、最近の若い子の会話を聞いていると、それとは反対に予想を超えて良いことが発生したときにも使っているように思いますし、能力が非常に秀でている人に向かって「お前ヤバいな」なんて言っていたりするように思います。

私が「お前ヤバイ」なんて言う時は、言動が常識から逸脱していたりと、やはり悪いことにむけて使いますね。使い方がいろいろ転じて面白いなと思う反面、私の使い方ではいつか伝わらなく鳴ってしまうのではと少し不安になってしまったりもします。

「ヤバい」と同じくらいよく聞いていたのが「ダサい」
これは最近の言葉というわけではありませんが、やはりどの時代でも若い人がよく使う言葉なのかと思います。(もしかしたら今の若い人にとっては古い言葉という認識になってしまっているかもしれませんが。。。)
この「ダサい」もどういう意味?と言われると他の言葉で説明するのはちょっと難しいように思います。調べてみると、この言葉も様々な意味を含んでいるようで、一概にはいえなさそうと感じました。

学校で習うような言葉は、定義から入るため、多くの人が大体同じような意味で使うことが多いと思いますが、「ダサい」や「ヤバイ」のようなニュアンスから形成された言葉は比較的人によって使い方も様々で、定義というより状況に応じて使うことが多いのではないかなと思います。

それこそ教育という形で言葉が伝わるようになる前は、まともに会話ができていたのだろうか?とちょっと疑問に思ってしまいますよね。
それこそ地域や村、町によって使い方も様々であったと思います。

これがいつのまにかほとんどの言葉が共通になっていき、むしろ「ヤバイ」とか「ダサい」のような定義が曖昧な言葉が目立つようになったのですから、時代の進歩というのは本当に感心させられますね。

若い人からしてみれば、この考えは非常に「ダサい」のかもしれませんが。。。